【役所の思ひ出】2 市民は「お客さま」じゃない?
「私はしばらく、受話器を握ったままぼーっとしていたわ。
たった1本の電話が、いま私の中のなにかを殺した。
死んで、なくなってしまった。ただたんたんと事実を告げられることが、事務的な連絡が、あんなにも凶暴な何かだったなんて思いもよらなかった」
以前、読んだ『トッカン ―特別国税徴収官』(高殿円著/早川書房)の一節です。
私も、区役所の職員時代、「滞納処分吏員」だったことがあります。
国税ほど大きな金額ではないにせよ、財産調査をしたり、催告(要は支払いの催促)をしたり、滞納処分(要は差し押さえ)をしたりしたことがありました。
そんな私が、でも今は公務員でない私が読んで、胃がキリキリした部分。
この描写はまだ続きます。
”がちゃん”
その聞き慣れた音が、どんな風に響いただろうと思うと、わたしは濃い胃液が染みこんでいったあとが、ゆっくりと治らない潰瘍になっていくような気がした。
申し訳ないことをした。
わたしたち税務職員にとって、ああいう電話はたくさんの中の一本だ。事務的で、一方的でいつもの仕事。
けれど、受けたほうにとってはどうだろう。相沢芽夢の言ったとおり、それは人生なのだ。
仕事ではない。人生、なのだ。その、差。
役所の職員にとって、市民は「お客様」ではない、と言う人がいます。
確かに、「客」という言葉の意味を辞書で調べれば、そうなのかもしれません。
ともにまちをつくる同士であり、仲間であり、客人ではない。それもそうなのでしょう。
でも、「仕事」として関わっている人と、そうでない人とが、完全に対等な仲間と言えるでしょうか。
また、仲間だったら、ぞんざいな態度でいいのでしょうか。
「クレームは受け付けません」
「丁寧な言葉遣いはしません」
どこぞの会社のような宣言をし、そのかわり、税金をお安くしているんです・・・ってなことになるんでしょうか。
何か違う気がします。
私はやはり、「お客様」として、丁重に、心をこめて対応すべきなんじゃないかと思っています。
そんな思いを込めて書いた拙著(『これで怖くない!公務員のクレーム対応術』)。
内容は、ごく基本的なことかもしれません。
でも、「知っていること」と、「やっていること」が、必ずしも同じとは言い切れません。
「知っていること」イコール「できていること」でしょうか・・・。
やはり、市民が窓口にいらしたとき、電話やメールをくださったときは、「お客様」として、親切・丁寧な対応を心がけるべき。
私はそう思うのですが・・・市民のみなさんはどう思われますか。
役所の職員のみなさん。私は間違っているのでしょうか・・・。
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