« 実はWeb制作のお仕事もしています | トップページ | 「自署」または「記名捺印」の解釈 »

助詞の「は」と「が」、使い分けていますか

今日は助詞のウンチクです。

いつもお世話になっている長谷川亜由美さんから、
こんなメールが来ました。

 

> お忙しいところ申し訳ないのですが
> ちょっと教えてほしいのです。
>
> 私の、趣味ブログに
> http://machigaijp.ti-da.net/
>
> こんなコメントがあったのね。
>
> ---------------------------------
> プロフィールの「日本語の間違いを調べるのは、――」ではなく
> 「調べることが」の方が正しいんじゃないですか?
> 日本語表現に自信があるわけじゃないので僕が間違っているかもしれませんが。
> ---------------------------------
>
> 私、なんか間違ってますか?(^^;

 

間違ってはいません。
敢えて言えば、好みの問題かと思います。

「デジタル大辞泉」(小学館)には、次の解説があります。

 [準体助詞]
1 (体言に付いて)下の名詞を表現せず、「のもの」「のこと」の意を表す。
2 (活用語に付いて)その語を名詞と同じ資格にすることを表す。


長谷川さんの「の」は、この[準体助詞]の2の用法です。
つまり、「調べる」という活用語について、
これを「調べること」という名詞的なものにしています。

日本語の間違いを調べるのは、私の趣味です。
→日本語の間違いを調べる「の」(=こと)は、私の趣味です。

大野晋先生の「日本語の文法を考える」(岩波新書)にも、
例文として、「丸いのは地球である」とあります(P.35)。

 

敢えて言えば、「フォーマルな表現」ではないとは思います。

ただし、このブログは、堅苦しいことを
堅苦しくなく伝えようとしていると思われるので、
そういった意味で表現が統一されていて、「正しい」と思います。

長谷川さんのブログの冒頭には、

普段よく使っちゃうけど、間違いなのか正しいのかわからない日本語の数々。

と書かれています。

ある意味、「普段、よく使ってしまうけれど」が正しい表現なのでしょう。
それを「使っちゃう」と書いているわけですから、この時点で、親しみやすく書こうという意図が感じられます。

そのトーンで、インフォーマルな表現をすることは、
むしろ「統一感がある」と言えるでしょう。

 

また、「日本語の間違い研究室○か×か」
というタイトルのブログであり、
さらに、プロフィールには
「日本語の間違い研究室 室長」とある。

共通しているのは「日本語の間違い」というテーマです。

すなわち、「日本語の間違い」というテーマは、
冒頭から繰り返し提示されていて、
「既知」のものになるわけです。

それを「日本語の間違いを調べるのが、」と書いたら、
いささか気持ち悪い日本語だったでしょう。

「が」は未知のものを受け、「は」は既知のものを受ける
・・・のが日本語の常識的な使い方だからです。

例えば、「むか~し昔、あるところに、おじいさんとおばあさんガいました」と言ったとき、このおじいさんとおばあさんは、突然登場した未知の人です。

でも、「おじいさんハ山へ芝刈りに、おばあさんハ川へ洗濯に行きました」と続けた時、このおじいさんとおばあさんは、名前は知らないけど、既に出てきた既知の人です。

(※意味がわからない人は、「日本語の文法を考える」を読みましょう)

「日本語の間違いを調べるのが、」と書いた場合、

私の趣味は(何かというと)、日本語の間違いを調べることです。

とも言い換えることができる。
この場合、私だったら

「なぜ、唐突にあなたの趣味の説明が出てくるの?」

と感じます。

 

ですから、「日本語の間違いを調べるのは、」と表現したことに、私はむしろ、長谷川さんの日本語のセンスを感じたわけです。

以上、言語学者のタマゴが分析する「長谷川亜由美の言語センス」でした。

 

補足(2012/3/26追記)

「未知と既知」のお話は、「ハ」と「ガ」が次の使い方をされている場合です。

<ガ>格助詞

動作・存在・状況の主体を表す。
「山―ある」「水―きれいだ」「風―吹く」

<ハ>係助詞

判断の主題を提示する意を表す。
「犬―動物だ」「教育―国民の義務である」

(一般的に、「主語を表す」なんて言われている使い方です)

 

flair長谷川さんのブログ、「日本語の間違い研究室○か×か」
 おもしろいから、ぜひ、ご覧ください。
 私もいくつかコンテンツを提供していますnote

 

ぽちぽちっと2つ、応援クリックをdownwardleft

にほんブログ村 本ブログ 編集・ライター・書店員へ  「CSMSライターが日本語を考える」から人気ブログランキングへリンクしているバナー 

 

|

« 実はWeb制作のお仕事もしています | トップページ | 「自署」または「記名捺印」の解釈 »

気になる言葉」カテゴリの記事

言葉・文章の書き方・広報・日本語」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。私は「は」と「が」の役割分担を以下のように考えています。
「aはA」及び「aがA」という形の文の「a」を主部,「A」を述部と形式的に呼ぶことにします。

【その1】 主部aを含む具体的な集合が既に与えれている(または想定される)場合
例 {サメ,クジラ,マグロ}の中で哺乳類はどれか?という質問に対する答え
「クジラが哺乳類だ」は、クジラは質問に対する答えとして相応しく、サメとマグロには否定的です。そこで、意味は次のようだと考えられます。
   サメ・・・・弱・・・・哺乳類だ
  クジラ--強--哺乳類だ
  マグロ・・・・弱・・・・哺乳類だ
同じ質問に対する答え「クジラは哺乳類だ」はサメとマグロに関しては肯定も否定もしておらず、クジラについてのみ哺乳類に含まれると述べているので、意味は次のようだと考えられます。
   サメ--?--ほ乳類だ
  クジラ-----ほ乳類だ
  マグロ--?--ほ乳類だ
【その2】主部aを含む具体的な集合は登場しておらず、いくつかのaが考えられる場合
例.生まれて初めて動物園でキリンを見た子供が「うわー、首が長い!」と言った場合、普段見る動物の首と比べて長いと言っていると受け取れます。そこで、この文の意味は次のようだと考えられます。
(犬)   首・・・・弱・・・・長い
(キリン)  首--強--長い
(猫)   首・・・・弱・・・・長い
例.数学の先生が授業の始めに「三角形の内角の和は180°である」と言いました。これは、どの三角形の内角の和も180°であるという主張なので、この意味は次のようだと考えられます。
(直角三角形)  三角形の内角の和-----180°である
(正三角形)   三角形の内角の和-----180°である
(鈍角三角形) 三角形の内角の和-----180°である
どのaについても言えることではないのだが、このaについてはAであるという場合は「aがA」と言います。それに対して、どのaについてもAであるという場合は「aはA」と言います。
【その3】主部aを含む具体的な集合は登場しておらず、さらに、いくつかのaも考えられない場合
例.ある暑い日に帰宅した会社員が「あー、のどが渇いた!」と言いました。これは、いつも渇いているわけではないが、今、渇いていると主張していると受け取れます。そこで、この意味は次のようになります。
  (過去)   のど・・・・弱・・・・渇いた
(今) のど--強--渇いた
(未来) のど・・・・弱・・・・渇いた
例.先生が理科の授業の始めに、「太陽は東から昇る」と言いました。これは、太陽はいつでも東から昇るという主張だと受け取れます。そこで、この意味は、次のようだと考えられます。
  (過去)   太陽-----東から昇る
(今) 太陽-----東から昇る
(未来) 太陽-----東から昇る
いつのaについても言えることではないのだが、このときのaについてはAであるという場合は「aがA」と言います。それに対して、いつのaについてもAであるという場合は「aはA」と言います。
 ながくてすみません。http://www.k3.dion.ne.jp/~okayasu1 も読んでいただけると光栄です。

投稿: 岡安 | 2014/06/28 22:17

>流れ人さま


おおっ!またまた鋭い指摘!
これはコメント欄ではもったいない!

ちょっと長くなってしまったのもあって、
このやりとりを記事に移してお答えします。
ご了承ください~

投稿: 小田順子 | 2012/03/30 21:52

おお、明快な回答ありがとうございます…!

いえいえしがない高校生です(笑) 流れ人?あいつはバカだよー。

話題の中での初出、というと英語の「a」と「the」の違いを思い出しますね。
中学で冠詞を学んだ時「なんでこいつらこんな面倒なことしてるんだよ止めろよ今すぐ…」
と思ってそれ以降英作文でずっと苦しめられて来ましたが、
日本人も似たようなことしてたんですね。外国の方が日本語学ぶときに「てにおは」で詰まるってのも納得です。

ついでに思いついたのでもう一つ。
「彼が言った。」
「彼は言った。」
この場合、前後の文脈を想像すると、
「~である、と彼が言った。」
「彼は言った。~である、と。」
のように、後者では倒置が起きそうな気がするのですが、これは私のただの偏見でしょうかね?(笑)
後者の「彼」はまるで「君子に曰く」のような妙な威厳が感じられるのですが、前者の「彼」はただの日常描写の一部のような気がします。
これも助詞の用法に由来するものでしょうか?
質問ばっかりで申し訳ない限りですが、気が向いたらお願いします。

投稿: 流れ人 | 2012/03/28 19:16

>流れ人さま

また難しい問題を与えていただき・・・ありがとうございますcoldsweats01


大野先生の真似をすれば、

【1】「彼こそが、天才である」
→天才は誰かというと、彼である


【2】「彼こそは、天才である」
→彼はどんな人かというと、天才である


ご指摘の通り、「天才」をテーマにお話ししているときは、
他の誰かではなく「彼」なんだ、と強調しているのだと思います。

今は「彼」について話してるんじゃなくて、「天才」について話してる。
「彼」は、「話題の中で初出」という意味では「未知」ですね。

(例)
A:世の中には「天才」っているもんだな~。
B:天才と言えば小田だよ。あいつは天才だ。
A:ああ、小田?あいつはバカだよー。頭ワルイ。
 彼こそが天才だよ。(と、流れ人さんを指さす)
B:そうなの?誰?あれ。


ここで言う「既知・未知」は、話者の知人かどうかではなく、
今、この場の話題の中で「初出」か「既出」かの違い、
・・・という感じですかね~


流れ人さんのご指摘に答えていると、
まるで言語学や国語学の先生に
導かれているみたいですnote

・・・って、ホントに先生なんじゃ・・・sweat02

投稿: 小田順子 | 2012/03/27 01:25

返信有難う御座います!
なるほど…そもそも助詞が違うのか。

それなら、主体を表すものでも
「彼こそが、天才である」
「彼こそは、天才である」
なんかはほぼ違いがないように見えますが、前者の彼には未知のニュアンスがあるってことでしょうか。
私の感覚だと上は「唯一無二、天上天下彼に比肩するものなし」的なニュアンス、
下は「いわゆる世間一般で言う天才という部類のうちの一人」的なニュアンスを感じます。
つまり「が」のほうが特定が強い気がするのですが、これといって未知感は感じません。…?

ここまで書いていて思ったのですが、「が」は接続の前(この場合「彼」)を、「は」は接続の後(この場合「天才」)を重視しているのではないでしょうか…?

投稿: 流れ人 | 2012/03/26 23:42

>流れ人さん

コメントをいただき、ありがとうございます!
鋭い突っ込みです~note

「君が好きだ」の「ガ」は、「君ヲ好きだ」
の、「ヲ」と同じ働きだと思います。

------------------------------
<格助詞の「ガ」>
希望・好悪・能力などの対象を示す。
「水―飲みたい」
(「デジタル大辞泉」より)
------------------------------


ついでに、係助詞の「ハ」について。
よく使われるのが次の用法です。

------------------------------
判断の主題を提示する意を表す。
「犬―動物だ」「教育―国民の義務である」
(「デジタル大辞泉」より)
------------------------------


ご指摘の「君ハ好きだ、でも君の仕草ハ嫌いだ」の「ハ」は、次の用法かと思います。

------------------------------
ある事物を他と区別して、または対比的に取り立てて示す意を表す。
「風―強いが、日―照っている」
(「デジタル大辞泉」より)
------------------------------


あれこれ考えてみると、おもしろいですよねshine
(おもしろくないか coldsweats01

投稿: 小田順子 | 2012/03/26 18:19

検索から来ました。
「君が好きだ」の「が」は「君」が未知の人ではないですけど、これは何なんでしょう?
そもそも「君は好きだ」だと「~、でも君の仕草は嫌いだ」みたいなつながりを想定してしまいますし…??

投稿: 流れ人 | 2012/03/26 17:57

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 実はWeb制作のお仕事もしています | トップページ | 「自署」または「記名捺印」の解釈 »